師 1 (出会う前の私) | ヒトコワ新聞

師 1 (出会う前の私)

死にたかった頃


全国1億1900万人の人嫌いファンの皆様、こんにちは。
殺るか、殺られるか」シリーズで散々毒をはき、
でも、まだ続くのよね。のえむです。
みなさん、師走の忙しさに体調は大丈夫ですか?


さて今日のお題はTBステーションの
第5回 あなたが尊敬する人。
について。


えむにしては珍しく、今回は結論を先に言ってしまいます。
私の尊敬する人は



Oさんです。
「お産」ではありません。念のため・・・。



今回はOさんに出会う前の私について
前フリさせていただきます。



Oさんと出会ったのは、私が22歳の時でした。
そのころの私は


明日死んでもいいや。


ってくらい刹那的に生きていました。


実際、車が好きだった私は毎晩「走り屋」と呼ばれる
公道レースをする人たちと、峠で競争を繰り返していました。
えぇ。私も走り屋でした。


とにかく負けず嫌いだったので、スポーツタイプの軽自動車で
パワーがあるスポーツカーと競争し、まさに文字通り


命を削った走り


で数々の車を打ち負かしていました。
(打ち負かした車種、スカイライン、シビック、86、AE101スーチャなど。)


もちろん、負けることもあったのですが、当時は異常とも呼べる
勝率でした。(だいたい8割くらいでしょうか。)


この「走り屋」という狭いフィールドで勝つには、
走りのテクニックが必要とされます。できれば性能のいい車も。
しかしながら、一般公道ですので「度胸」があれば中級者程度までは
勝てたんですよ。


毎日、死にたかった私はこの「走り屋」という世界を知ったとき、
これだ!と思いましたね。


時速○○○km/hからコーナー(カーブ)へハンドルをわずかに
調整しながら、飛び込んでいく。


一つでも失敗したらアウト。


そんな別世界、「死」と隣りあわせの世界から抜けて
「現実世界」に戻ってきた時、「生」の実感が得られる・・・。


そんな、「死」に限りなく近い世界を毎日、毎日楽しんでいました。
その時は仕事を終え、すぐ「峠」に行き、朝方まで走り、
あまりの眠気に家路の途中、車内で眠る。その後、家に帰って
風呂に入って、ネクタイを締めなおし、出勤・・・。


そんな生活を続けていました。


そんな日々ですから、当然、わかりきったことがやってきます。


いつものように走りに行きました。いつも走り慣れている道。
時速も○○○km/h出ていたでしょう。
そんな道の直線の真ん中に、なんと・・・


ガードレールの壁が!


しかもこのガードレールの高さがちょうど私の


頭の高さ
だったんです。


死を望んでいた私には、絶好のチャンスがやってきたわけです。





バーン。






目をつぶっていました。ギロチンのように首が飛んでいる自分を
想像してその瞬間を待っていました。



・・・。



目を開けると、ガードレールが車内に侵入し、
おでこから5cmくらいのところで止まっていました。


死を覚悟した私。


でも生きている私。


・・・。



この時に初めて


「私は生かされているんだ。」


ということを実感しました。


生かしているのは誰なんでしょうか?


神様?

仏様?

誰かの想い?

自分の本能?

運命?


そんなことは私にはわかりません。
しかし、このblogを書いているということは
私はまだ、生かされているようです。


そんな事があって、しばらく「走り」をやめていました。


そこで


「Oさん」


と出会います。


師 2 へ続く。