師 2 (恩返し) | ヒトコワ新聞

師 2 (恩返し)

ドラえもんのような背中


師 1 の続きです。


私は、その後、ある走り屋仲間に連れられて
一軒のお店につきました。
用意するものは


ヘルメット。

グローブ。

長袖、長ズボン。


だそうです。



何も聞かず、連れられていったそのお店は、
車のレース専門店でした。


「こんなお店もあるのかぁ。」


それぐらい、私にとっては異質に見えるお店でした。


その日はサーキットでレーシングカーで練習走行体験ができる、
というので流されるままに、サーキットに着き、自分の番が
来るまで待っていました。


自分の番が来ました。


・・・。


おもしろい!


私は感動しました。


「峠」という非合法な場所から「サーキット」という合法な場所へ。


「走り屋」という一部からは非難を浴びるような肩書きから
「レーサー」という憧れと羨望の場所へ。


気がつけば、一週間後にはレースカーを手に入れていました。


そこのオーナーがOさんです。


Oさんは少し小太り気味の人でした。


レース活動をしていくと、いろんな人の協力が必要となります。
私は今以上に人嫌いでしたので、その辺で大変レース仲間に
迷惑をかけました。


当然、チームからは「浮いていた」部分もあるでしょう。


それでも、私がレースをやめなかった理由は夢ができたからです。


「レースの世界でプロになる」


という夢でした。

しかし、現在、レースの世界では3歳からレースを始めている
エリートや、金持ちの親のバックアップ、スポンサーがついて
それでも食っていけるかどうかの厳しい世界です。


頭ではわかっていたんですが、夢をあきらめることは
できませんでした。


そのことをOさんに相談すると、世間知らずの私を応援して
くれるとのこと。とても心強く感じました。


そんな決心をしてから、Oさんとかかわる機会が多くなりました。


「技術は目で盗め」


Oさんの口癖でした。



私は、Oさんの一挙一動に目を凝らすようになりました。


実際Oさんは技術屋で、
「できないことは、ない」
というくらい、なんでも自分でやってました。
私は、そんなOさんの後ろ姿をずっと見ていました。


本当に、「ドラえもん」のように
困ったときには何でも自分で解決する人でした。



自分の世界がどんどん広がっていきました。
毎日、自分の世界の色が変わりました。


自分がレース仲間うちでの人間関係でもめたときでも、
常にかばってくれたOさん、


自分がレースで勝つことをあらゆる方面でサポートしてくれた
Oさん。


父親がいない私を、年が近い息子のように、大事にしてくれた
Oさん。


自分の人生の経験から、時には厳しく接し、でも心は温かだった
Oさん。


私がまだ未熟なのに、「レース活動を広げるために上京する」という
わがままを、そして「えむは失敗するだろう」という現実を、
受け入れてくれて、最後まで見守ってくれているOさん。


失敗して帰ってきた私に何も言わず、「時々遊びにこいよ」って
まだ誘ってくれるくれるOさん。


私は・・・。


Oさんのことをとても好きになりました。


今でも、そしてこれからも、
私の人生で尊敬する人の一番であり続けるでしょう。


でも、私はOさんに何一つ恩返しできませんでした。
今でも、恩返しする力はありません。


こんなにたくさんもらっているのに・・・。


今、Oさんは情熱ある人材と、たくさんのお金が必要な
事業に携わっています。


今の私の力では何のサポートもしてやれません。
とても悔しいです。


もし、私が力を持ち、お金を稼ぐ力がついて一人前になったら
真っ先にサポートしたい人です。


この人に出会わなければ、今の私は100%ありえない、と
断言できます。


早く、一人前になりたいです。



すいません、キーボード打ちながら泣いちゃって・・・。
文章ボロボロですね。


今日はこのへんで・・・。