えむの本質論 「教育、躾編。」 | ヒトコワ新聞

えむの本質論 「教育、躾編。」

すべては教育に始まり、
教育に終わる。



全国9000万人の人嫌いファンの皆様、こんにちわ。
昨日夜遅く、知り合いのアカペラグループの練習を見て
また、音楽の世界に行っちゃおうかしら・・・なんて
大それたことを一瞬考えたが、今日の朝起きれず、
寄る年波には勝てないねぇ
のえむです。

みなさ~ん、今日も・・・ハモっていいとも!


さて、今日のお題は「自分の子供への教育」です。


あの、大変長々しいエントリー、「殺るか、殺られるか」シリーズを
ご覧くださったみなさん、お付き合い、まことにありがとうございました。
そして暖かいコメント、また親の対応に対するコメントを数多くいただき
ました。この場を借りて感謝申し上げます。<(_ _)>


そこで、今日は私が思う教育、躾(しつけ)の考え方、
これについてエントリーしたいと思います。


私の教育スタンスは



因果応報
です。


具体的な教育の仕方として、まず第一に


「人が嫌がることはやらない。」


というのが挙げられます。
少なくとも人が「嫌だ」というサインを発したときには見逃さず、
自分に置き換えてごらん?という道徳教育を徹底します。


第二は


いい行動をすれば誉め、称える。
悪いことをすれば叱り、戒める。
これらを忠実に実行する。



非常にシンプルですが、これが教育の源だと考えます。
しかし、「いい、悪い」というのは非常にアバウトです。
誰が基準かにもよりますし。
しかし、私としては「社会と私の共通の価値観」上で
いい、悪いを判別し、誉め、叱る、というスタンスを
とっていきたいと思っています。
そこで親自身が「自信」や「確固たる価値観」がないと
強く誉め、叱ることはできないと思います。


子供からすれば、常に親には自信をもっていると
思っているはずですので、期待を裏切らないためにも
自分の意思、スタンスは、はっきりさせたほうがよいと考えます。


第三に


親の思っていることを全部伝える努力すると
同時に、子供がとる行動の本質を探り、
真意を確かめる。


ということです。
私は自分の考え方、今の感情、子供に対する愛情や想いなどを
「黙って伝える」という高等技術ができないために、
すべて発言と行動で想いを伝えるというやり方しかできないんですね。
また、子供がいいことをする、悪いことをする根本には必ず「柱」になる
価値観や、環境などの「背景」があるはずだ、と私は考えます。
ですから、どんなに口先で注意しても言うことを聞かない子供は
その「柱」を崩したり、補強することが必要ではないか、
と思うのです。大体、そういうことは子供本人には見えないことが
多い。これは大人にも言えることですが・・・。


世の中、社会、人生、すべてにおいて「正しい答え」というのは
ないと思います。しかし、自然の法則というのは変わらず、
いいことも、悪いことも、いつか自分に帰ってくるように
できているのではないか、と思います。


ただ、それに時間差があるのが問題です。
因果応報は結果的にかなりの時間差を要する場合があります。
これでは人間の成長の糧である「気づき」を奪います。


私が考える「親の仕事」とはいかに早く「気づかせるか」
だと思います。


親の思いを伝え、気づかせる。
社会が子供をどう思っているか、気づかせる。
その行動が結果的にどうなるのか、気づかせる。
つまり躾とは


気づかせること
だと思います。



つまり、
私が出した躾の最大の方法それが


因果応報
です。


ちなみに、もし私が「殺るか、殺られるか」シリーズの
あの子供たち(中学生)のならば、





子供、私共々、
地面に額をこすりつけ、土下座。


賠償金は常識の範囲であれば
即、借金してでも支払い


支払った代金分はもちろん
息子に請求。


次の日から毎日、雨だろうが、台風だろうが
新聞配達させて


本人のゲーム機や自転車、CDなどは
片っ端から売っぱらって
即、現金化させる。





生活面では・・・


親への借金を完済するまでの間、本人の頭を
丸坊主にし、


掃除、炊事、そして親父のパンツの洗濯まで、家事はすべて
息子にさせる。


もちろん、それを理由に成績が下がる、ということは
一切許さない。



そんな「罰」を与えますね。
まぁ、でもこれは甘いほうですよ。
だって、まだ・・・。










少年院
入れてませんから。



えぇ・・・。








危険な例の
ヨットスクールに
入れてません
から。










でもね、
気づかせるには十分でしょ?


これが教育では、ないんかい?